本稿は、架空のスナック菓子会社「アンエシカル・キャンディーズ」における内部崩壊事件を題材にした創作ドキュメントである。「確率操作」「倫理スコア」「露出装置」など、現代の企業文化・情報倫理・マーケティング手法を風刺的に再構成し、一人の万年平社員が“確率の歪み”から企業の虚構を暴くまでの過程を描く。
登場する人物・団体・理論・現象はすべてフィクションであり、実在のものとは関係がない。
ただし本作は、現実社会における「透明性」「倫理」「観測の暴力」を問う寓話的試みでもある。
第1章 異常な確率分布の発見 ― 初期観測記録
1-1 はじまりの観測
2024年3月11日午前8時42分。
株式会社アンエシカル・キャンディーズ本社(T都S区)第3商品開発課にて、平社員の**藤原(F)**氏は、いつものように「スナック・アステリズム」シリーズの販売データを整理していた。
彼が気づいたのは、食玩キャンペーンの当選報告率に極端な偏りがあることだった。
「星型チップが出る確率は1/100」と広告には記されていたが、実際の集計ではその数値は1/25,000を下回っていた。
しかも、特定の販売地域ではほとんど“星型”が出現していなかった。
当初、システム上の入力ミスかと思われた。
しかしF氏は、社内在庫データのログ(LOT-Δ2024)を再解析したところ、確率計算プログラムに不明なパラメータ「bias_mod=-0.993」という記述を発見。
この値は、社内で使用されている確率エンジン「CHANCE-CORE ver.7.3」では想定されていないものであった。
彼はこの瞬間、内部的な“確率操作”が行われている可能性を確信したという。
1-2 初期報告と沈黙
F氏はその日の午後、直属の上司である課長・高峰宛てに簡易報告書を提出した。
だが、返答はなかった。
代わりに翌朝届いたのは「調査不要」とだけ書かれた社内チャットの短文である。
それ以降、F氏の端末からアクセスできるデータベースは次々と制限されていった。
社内では「余計なデータを見るな」という暗黙の空気が流れており、食玩の確率は“企業機密”とされていた。
それでもF氏は、昼休みを利用してバックアップサーバを検索し、ある隠しフォルダを見つける。
その名は「ON-DEMAND倫理統計サーバ(ODS)」――通常の開発部門が扱う領域ではなかった。
そこには、社内倫理監査委員会が自動生成する“内部道徳指数”のようなデータが保存されており、
社員一人ひとりの「誠実度」「情報漏洩リスク」「自己羞恥耐性」などのスコアが並んでいた。
なぜスナック会社にこのような情報が存在するのか、誰も説明できなかった。
1-3 偶然の覗き込み
3月15日深夜、F氏は帰宅前にうっかりODSを誤操作し、暗号化ファイル「ODE_proto.dat」を開いてしまう。
その中には「ON-DEMAND Exposure System(O.D.E.)」という未完成プログラムの概要書が含まれていた。
内容は、社内幹部の映像記録を“必要に応じて自動公開”するテスト仕様であった。
当初は「倫理教育の透明化」を目的として作られたものらしいが、のちに広告・販売促進への応用を目的として封印されたと記録されていた。
この瞬間から、F氏の端末には不明なログイン試行が頻発し、職場のディスプレイに「観測者登録完了」とだけ表示される奇妙な現象が起きた。
社内の誰も気づいていないようだったが、F氏だけは直感的に理解していた。
――これは単なるデータではなく、「観測された倫理」そのものが動き出している、と。
1-4 観測記録の終端
翌週、F氏は個人端末に残されたすべてのデータをUSBに複製し、「倫理分布異常報告」と題した文書を印刷した。
報告書の末尾には、彼の走り書きが残されていた。
「確率は味を裏切らない。しかし、味は人間を裏切る。」
この言葉を最後に、F氏は社内から姿を消した。
正確には、“社員”としての彼が消えたのだ。
以後、彼の端末はすべてアクセス不能となり、同僚の誰も彼を見かけなくなった。
しかしその裏で、“観測者”としてのF氏は静かに活動を続けていた――
まるで、社内ネットの影に溶け込んだ意識のように。
第2章 内部腐敗構造と文化的感染 ― 社会的影響分析
2-1 「確率操作」という文化
株式会社アンエシカル・キャンディーズにおける“確率操作”は、単なる技術的改竄ではなく、むしろ企業文化の一部として定着していたことが後の調査で判明している。
当初は「演出型ランダム体験(Performative Randomness)」と呼ばれ、消費者の「当たらない体験」そのものを娯楽化するマーケティング手法として導入された。
この手法は、商品の価値を“味覚”から“期待値”へと転換させ、消費行動を心理的ゲームとして再構築するものであった。
やがて、社内では“確率は商品価値のスパイス”というスローガンが広まり、社員教育の資料にも「外れが多いほど熱狂が生まれる」と明記されていた。
本来なら倫理監査部が制止すべき内容であるが、社内AI「TASTENET」が自動生成する売上予測モデルは、確率偏差を利益要因として評価するよう設計されていたため、
内部的に“悪行”が“成功指標”としてカウントされる構造が生まれていた。
2-2 SNS反応と「ガチャ地獄」現象
2024年4月以降、SNS上では消費者たちによる「食玩ガチャ地獄」ハッシュタグ運動が広がった。
「100袋買っても星型が出ない」「推しキャラカードが都市伝説」などの投稿が拡散し、
一部のユーザーは確率分布を独自解析して公開する“市民データ監査者”として注目を浴びた。
その一方で、広告代理店主導の“演出型ランダム体験”キャンペーンも展開され、
「不運を共有することが新しい幸福のかたち」といった逆説的メッセージがプロモーション動画に使われていた。
結果として、アンエシカル・キャンディーズの製品は売上を伸ばしながらも、倫理的信頼を急速に失っていくという奇妙な二重構造を呈した。
ある母親がSNSに投稿した映像が象徴的だった。
子ども向け商品「アステリズム・ミニスターズ」――ミニサイズのスナックと小さなフィギュアがランダムで入った玩具付き菓子を、幼い息子が何十袋も開けていく。
目当ては「星の勇者フィギュア」だったが、出てくるのはどれも“欠番”や“ハズレの欠片”ばかり。
最後のひと袋を開けた瞬間、男の子は手を止め、袋を握りしめて号泣した。
コメント欄には「かわいそう」「泣ける」「これが教育か」などの反応が並び、同時に「外れの演出がうますぎる」と賞賛する声まで混ざっていた。
現代の「敗北の娯楽化」は、すでに次世代の無邪気さを飲み込みつつあった。
2-3 内部モラルの溶解
内部資料によると、社員評価制度(Ethical Fit Index:EFI)は売上貢献度と忠誠度によって算出されており、
倫理報告や内部異議申立を行うとスコアが自動的に減点される仕組みになっていた。
これにより、社員たちは自発的に「不正を見ない」態度を身につけていった。
食玩のデザインを担当していたデザイナーH氏の証言によれば、
「最初は“遊び心”だった。でもある日、上司から“正義はコストだ”と聞かされた瞬間に何かが止まった」という。
倫理観が組織的に沈黙を強いられた結果、会社全体が「笑顔で嘘をつく装置」と化していった。
2-4 平社員の影の動き
この混沌の中で、F氏は静かに動いていた。
彼は社内の食玩システムとTASTENETの連携コードを解析し、確率操作が単に商業上の問題ではなく、
人間の選択行動そのものを操作する「嗜好誘導アルゴリズム」になっていることを突き止める。
さらに、ODS(ON-DEMAND倫理統計サーバ)内の倫理指数と販売戦略の相関を分析した結果、
倫理スコアが低下するほど商品の売上が上昇するという負相関(r = -0.82)が観測された。
つまり、**「倫理を削るほど売れる」**という異常な経済構造が確立していたのだ。
この分析をF氏が外部へ持ち出したとき、社内サーバは急速にアクセス制限を強化。
同時に、社内ネットワーク上で「観測者がいます」という警告ログが全端末に一瞬だけ表示された。
それが、後に続く“露出装置”の起動予兆であったことを、当時知る者はほとんどいなかった。
第3章 情報爆弾〈ON-DEMAND露出装置〉の発動 ― 理論的解析
3-1 装置の構造と目的
2024年5月1日、F氏は社内サーバ「ODS」内の暗号化フォルダから、かつて社内研究班が試作したプログラム群の断片を発見した。
それが「O.D.E.(On-Demand Exposure)」――いわゆる**“オンデマンド露出装置”**である。
設計文書によると、このシステムは当初、経営層の倫理行動をリアルタイムで可視化し、社員に共有する教育目的のツールとして構想されていた。
具体的には、幹部の発言・経費・会食内容・SNS投稿をAIが解析し、“倫理偏差値(Ethical Deviation Index:EDI)”として自動算出する仕組みだった。
しかし試験段階で、幹部が自らのEDIスコアを恣意的に改ざんし、逆に社員を監視する方向へ転用したため、計画は凍結された。
F氏はこの“倫理の可視化”という思想を逆転させ、「監視される側を監視する」ための修正版を構築した。
その目的は復讐ではなく、あくまで「構造を見える化する観測行為」として記録に残されている。
3-2 負トルク式羞恥連鎖モデル(Negative Torque Shame Chain Model)
O.D.E.が起動した際の現象は、単なる情報漏洩ではなかった。
システムの中核には、「負トルク式羞恥連鎖モデル(NTSM)」と呼ばれる理論的構造が組み込まれていた。
これは、羞恥が観測者の数に反比例して拡大するという心理応答を数理的に再現するものである。
式で表すと以下のようになる。
$S = (H × L) / √O$
ここで、
$S$:羞恥増幅値(Shame Intensity)
$H$:本人の隠蔽欲求
$L$:情報の露出レベル(0〜1)
$O$:観測者数
観測者が増えるほど羞恥の臨界点が低下し、個人の心理は破綻点へ向かう。
F氏はこれを「倫理の逆相共鳴」と呼び、O.D.E.に実装した。
この構造によって、単一の映像公開が社会的連鎖を引き起こす“羞恥共振現象”が再現されたのである。
3-3 社長・朝霧憲司の露出
2024年5月7日午前6時12分。
O.D.E.は突如起動し、社内クラウドを経由して全世界の動画共有プラットフォームにライブ配信を開始した。
映し出されたのは、代表取締役・朝霧憲司の自宅映像だった。
彼はスーツの上から動物柄のパジャマを羽織り、ぬいぐるみを膝に抱えていた。
その姿勢のまま、菓子袋を手に取り、幼児語で話しかけ始めた。
「おいちいね〜アステリちゃん、今日もがんばったね〜。
みんなの運は社長さんがちゃ〜んと管理してるのよ〜。にゃんにゃん♪」
映像を見た視聴者のコメント欄は、瞬く間に阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
「うわあああ」「目が腐る」「社長、戻ってこい」「人間の尊厳が溶けていく」「キモ過ぎて草」「笑っちゃいけないけど笑うしかない」「感動しました」――
数百万のリアクションが数秒単位で流れ、罵倒と悲鳴と笑いが入り混じった。
72時間のうちに再生回数は3億を超え、国内外のニュース番組が「倫理崩壊を見せる社長」として取り上げた。
株価は暴落し、取引は停止。
朝霧は翌日以降、公の場に姿を現さなくなった。
後日、彼の端末には「観測完了」という一文だけが残されていたという。
3-4 情報倫理上の位置づけ
O.D.E.事件は、情報倫理学会(JIEA)によって「自己修復型暴露(Self-Healing Disclosure)」の第一事例として分類された。
JIEAの報告書では、F氏の行為を「倫理的自己免疫反応」として解釈している。
すなわち、企業体が自らの不正を外部に吐き出すことで、倫理システムを再構築しようとする無意識的挙動である。
また、社会情報庁CHAOS-TI研究班の分析によれば、O.D.E.の拡散速度は通常のリーク情報の約18倍であり、
従来の“情報感染モデル”では説明できない「羞恥伝播速度(Shame Velocity)」が観測された。
これは、羞恥が社会的免疫として機能し得るという新しい仮説――「羞恥免疫仮説(Shame Immunity Hypothesis)」を導く契機となった。
3-5 崩壊の臨界点
O.D.E.発動から72時間後、アンエシカル・キャンディーズの全サーバは自動シャットダウン。
社員たちはアクセス不能となり、社内通信網は“観測者なし”状態に戻った。
しかし、街中では依然として社長の映像が無限ループで流れ続け、
「倫理とは誰が誰を見ているか」という問いがネット上で拡散していった。
一方で、F氏の所在は依然として不明である。
最後に残された彼の個人メモには、こう書かれていた。
「観測の終わりは、透明の始まりだ。」
第4章 崩壊後の倫理圏 ― 観測者としての平社員
4-1 沈黙した企業、語り始めた社会
O.D.E.事件から半年後の2024年11月。
アンエシカル・キャンディーズの本社ビルは「倫理再建センター」として改装され、
外壁には「見えることは、変わること」というスローガンが掲げられた。
企業は法的には解体されたが、製品ブランドの一部は別会社に引き継がれ、
スナック菓子「アステリズム」シリーズも新名称「ReTaste」として再販が開始された。
だが、世間はもはや“お菓子”そのものよりも、
「味の裏に潜む構造」を嗅ぎ取るようになっていた。
SNSでは「味覚の倫理化」や「食の可視化」といった言葉が流行し、
一部のカフェでは“確率の味”を再現したメニューが提供された。
それらは不思議なことに、どれも“少し物悲しい”味だったと報告されている。
4-2 F氏の再出現と証言
事件から一年後、F氏はS県内の小さな食品研究所で発見された。
名義を変え、「感覚経済倫理ラボ(SEL)」の研究員として勤務していたという。
取材記録(仮想報告No.44-A)によれば、F氏はこう語っている。
「破壊が目的だったわけじゃない。ただ、誰も“味わっていなかった”から。
企業も、消費者も、自分の味を信じることをやめていた。」
彼の机の上には、再構築されたO.D.E.の試作機があり、
それには「観測者モード:自己内向型」と刻まれていた。
外界を暴くのではなく、自身の中に潜む“倫理の曖昧さ”を見つめ直す装置へと改良されていたのだ。
F氏は、それを「倫理のルーペ」と呼んだ。
4-3 食と情報の等価交換理論
F氏の再構築モデルは、後に「食と情報の等価交換理論(EIE:Edible Information Exchange)」として発表された。
その仮説によれば、人は“情報”を摂取するように“味”を理解し、
また“味”を通じて“情報”を消化する存在であるという。
情報の歪みが味覚を狂わせ、味覚の欺瞞が情報を腐敗させる。
この循環を修復するには、どちらか一方の透明化ではなく、
「味わうこと」そのものを再教育する必要があると提唱された。
EIEモデルでは、観測者と被観測者の境界が緩やかに溶け合い、
「観測すること=責任を持つこと」という新しい倫理圏が提示される。
この考えは一部の教育機関やAI倫理分野でも採用され、
“自己観測型評価システム”としての応用が模索されている。
4-4 倫理の残響
事件から時間が経つにつれ、人々の記憶から「アンエシカル・キャンディーズ」という社名は薄れつつある。
しかし、その影響は静かに続いている。
かつてF氏が書き残した一文――
「確率は味を裏切らない。しかし、味は人間を裏切る。」
――は、今も大学の講義資料や企業倫理研修のスライドで引用される。
それは単なる風刺ではなく、“観測の倫理”を味覚的に理解させる装置として生き続けている。
最後に、事件の記録を総括したCHAOS-TI報告書の結語を引用する。
「倫理とは、可視化の技術ではなく、共有の味である。
それを失ったとき、人は食べながら飢える。」
その意味で、F氏が破壊したのは企業ではなく、
“透明なふりをした鈍感さ”そのものであったのかもしれない。
そして、われわれが今もなお“味”という言葉に惑わされ続ける限り、
この報告書は終わらない観測の一部として存在し続けるのだろう。
免責事項
本記事は創作的要素を含むフィクションです。
登場する人物・団体・理論・現象等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
記載内容は寓話的再構成・風刺的分析を含み、現実の科学的・社会的事実の正確性を保証するものではありません。
本稿は、社会の理解構造や認識の限界を批評的に描く試みです。