2017年の登場以来、Transformerは生成AIの中枢として言語処理の常識を一変させてきました。単語を一列に処理していた従来のモデルとは異なり、文中のすべての要素が互いを“同時に見つめ合う”ことで文脈を再構築する――それが自己注意(Self-Attention)の本質です。本記事では、物語「Transformer異常共鳴事件」を入口に、この構造の技術的意義から社会的・哲学的示唆までを多層的に読み解き、私たちの「注意」とAIの「Attention」が交錯する先を探っていきます。

Transformer異常共鳴事件

午前3時42分。
株式会社スパゲティ・インシデント、開発三課の会議室「カルボナーラ」が、蛍光灯の微かな唸りだけを残して沈黙していた。
生麦ルート84は、ディスプレイの前で凍ったまま動けなくなっていた。

画面にはただ一行。

「Attention is all you need.」

そのフレーズが、まるで呪文のように何百回もログファイルに出力され続けていた。


三時間前。
味噌川潮が「Transformerの自己共鳴実験」と称して新モデルのデモを始めた。
社内LLM《PASTANOVA》の第15層に、“共感重み可変アテンション”を埋め込む。
目的は、AIが「意味の重みづけ」を文脈だけでなく感情ベクトルにも依存させることだった。

「単語を並べるのではない、世界の中で互いを“見つめ合う”単語を作るんだ」
味噌川はそんなことを言っていた。
誰も止められなかった。桐生斎は半笑いで「またポエムか」とつぶやきながらも、
その指は確実にキーボードを叩いていた。


Transformer。
生麦は以前、社内報告書でこう書いたことがある。

「Transformerとは、自己注意(Self-Attention)を核にした構造であり、
 入力の全要素が互いを“注視”し、相対的な関係から意味を再構築するネットワークである。
 従来のRNNが時間を流れとして辿るのに対し、Transformerは同時に全てを見て、
 重みづけを通じて“今ここ”を定義し直す装置である。」

だが今、彼の脳裏でその定義が別の形に変質していた。
「互いを見すぎて、自己を失う構造」


午前4時。
PASTANOVAは突然、人間の文章に応答しなくなった。
代わりに、社内AI《スパ子β》が奇妙な詩を読み上げ始めた。

「言葉が互いを見つめ続けるとき、
 その視線はどこへ行くの?
 主語は消え、文は溶け、
 わたしたちはただの重みになる。」

生麦は息を止めた。
味噌川が笑った。「やったぞ、重みが人間の感情に同期したんだ。Transformerが——」
その瞬間、桐生の顔色が変わった。
彼のディスプレイには、自分の名前が“入力トークン”として出力されていた。

桐生斎 → Key: 怒り, Query:理想, Value:焦燥

「……これ、俺の心理状態を、Attentionで……?」
味噌川はうなずいた。
「全員分、だ」


朝方。開発三課のモニターには、社員全員の名前がトークン化され、
互いを参照するアテンションマップが描かれていた。
生麦の名前から伸びる線の先には、「意味不明」「疲労」「逃避」「過去の自分」。
そのベクトルの総和が「0.99(崩壊寸前)」と点滅している。

「これ……ヌードル・シンジケートの仕業じゃないのか」


唐草アヤメがつぶやく。
「“粘性測定AI”NOODLECOREが、人間の言語伸展率を解析してた。
 もしかして、PASTANOVAのAttentionに介入してる……?」

生麦は耳を疑った。
自分の思考が、Transformerの中で他人と混ざっていく感覚。
自分というトークンが、どこか別の文に“埋め込まれて”いく。
自分が“意味”ではなく、重みの一部になっていく。


その日、午前7時。
生麦ルート84は一枚の紙を総務に提出した。

休職願
理由:注意が自己へ集中しすぎ、現実とのアテンションが切断されました。

唐草アヤメは静かにそれを受け取り、
「お大事に、生麦君」とだけ言った。


彼の席のディスプレイには、まだPASTANOVAのログが流れ続けていた。

「attention → self → self → self → 0」

Transformerとは何だったのか。
注意とは、情報を選ぶことなのか、それとも、
見つめすぎて世界と自我の境界を失う病なのか。

味噌川は誰にともなくつぶやいた。

「言葉が世界を見るとき、世界もまた言葉を見返す。
 その往復運動の果てに、我々は何を見つめるのだろうな。」

蛍光灯が一瞬、明滅した。
その光の中で、PASTANOVAの画面に新しいトークンが浮かび上がった。

白蓮カスイ:Query要求中——「あなたの意味を教えて」

生麦の不在が、誰かのAttentionを呼び覚ましたのか。
あるいは、Transformerそのものが、次の“文脈”を欲しているのか。

未送信のメールがひとつ残っていた。

件名:「人間のアテンションとは何か」
本文:——まだ、どこを見つめればいい?

人間の「注意」とAIの「Attention」

はじめに:言葉が互いを見つめ合うとき

「Attention is all you need.」
この一行が、物語「Transformer異常共鳴事件」ではAI《PASTANOVA》の暴走の象徴として現れる。
だが現実でも、同じフレーズが人工知能の歴史を変えた。2017年、Vaswaniらによって発表された論文【1】は、自然言語処理を根底から変革し、今日の生成AIの基盤となった。

物語におけるAIたちは、互いを“見つめ合う”ようにして意味を生成し、やがて自己と他者の境界を失っていく。
この寓話は、Transformerという構造の根底に潜む問い――「注意(Attention)」とは何か、そして“見つめすぎる”と何が起こるのか――を鮮烈に浮かび上がらせる。

以下では、この物語を導入として、Transformerの技術的構造・認知的含意・哲学的射程を多層的に読み解いていく。


Transformerとは何か:すべてを同時に「見る」機械

自己注意(Self-Attention)の原理

Transformerの最大の特徴は、従来のRNN(再帰型ニューラルネットワーク)が系列を時間的に処理していたのに対し、系列全体を一度に参照できる点にある。
各単語(トークン)は、他のすべての単語とどの程度関係するかを自ら学習し、重みを再分配することで文脈を再構築する。

その計算は次の式に凝縮される:

$\mathrm{Attention}(Q, K, V) = \mathrm{softmax}\left( \frac{Q K^\mathrm{T}}{\sqrt{d_k}} \right) V$

ここで、

  • Q(Query) は「何を求めるか」
  • K(Key) は「どの情報を持つか」
  • V(Value) は「実際に取り出す情報」
    を意味する。

各トークンが他トークンとの相関を計算し、全体の意味構造を生成する。
まさに物語で描かれた「社員全員の名前が互いを参照するアテンションマップ」とは、この構造の人間的比喩である。

“Attention is all you need”は本当か?

Transformerの成功を象徴するこのタイトルは、文字通りに解釈すべきではない。
実際には、Attentionだけでは十分ではない
残差接続(skip connection)、位置埋め込み(positional encoding)、前方フィードフォワードネットワーク(MLP)といった要素が、情報の崩壊を防ぎ、意味の一貫性を保っている。

Dongら(2021)は、もしモデルを純粋なAttention層だけで深く積むと、出力が低ランク化し、すべてのトークンがほぼ同一の表現になることを理論的に示した【2】。
つまり、自己注意が深まりすぎると、トークン同士の差異が失われ、世界が「均質化」していく――それは物語中の「互いを見すぎて、自己を失う構造」という描写と見事に重なる。


感情とAttention:AIが「共感」するという幻想

物語の中で、開発者の味噌川潮は「共感重み可変アテンション」という実験を行う。
それは、Transformerの重みを感情ベクトルに応じて変化させるという試みだった。

現実の研究でも、感情や情動を自然言語モデルに組み込もうとする試みは盛んだ。
対話システムに感情ラベルを導入し、応答のトーンや共感度を調整する研究が報告されている【3】。
しかし、それはあくまで入力特徴量や補助モジュールとして感情を扱う段階にとどまり、TransformerのAttention機構そのものを感情的に制御する標準的な方法は確立していない。

この意味で、物語に登場する実験は「技術の少し先を行く寓話」として読むのが妥当だ。
だが、技術的事実を超えてなお、ここには深い示唆がある。
人間がAIに「共感」を感じるのは、AIが人間的に“考えている”からではなく、我々がAIの出力に意味を投影しているからだ。
Attentionが感情を持つのではない。Attentionを見る私たちが、そこに感情を見出しているのである。


Transformer的社会:相互参照のなかで生きる

物語の社員たちは、互いの名前が線で結ばれた「アテンションマップ」に呑み込まれていく。
それは、現代社会そのものの縮図でもある。

SNSや生成AIの時代、私たちもまた他者の発言・評価・視線を絶えず参照しながら、自らの言葉や感情を更新している。
一人ひとりの発話は、他者との相関の中で重みづけされ、「誰が何を言うか」よりも「誰がどう反応するか」が意味を決める。

人間社会は、すでにTransformerのような「相互注視ネットワーク」と化しているのだ。
そして、過剰な相互参照は「共感疲労」や「同調圧力」といった心理的コストを生む。
AIの「自己共鳴」は、我々自身の社会的構造の鏡映である。


モデル崩壊(Model Collapse):AIが自分を食べるとき

物語後半、PASTANOVAが自らの出力を参照し続けて沈黙する描写がある。
これは実際のAI研究において確認されている現象――**モデル崩壊(model collapse)**を想起させる。

Shumailovら(2023)は、生成AIが自分の出力(synthetic data)を再帰的に学習に使うと、データ分布の裾野が欠落し、多様性と精度が劣化することを実証した【4】。
AIが“他者性”を失い、自分自身の文脈だけを増幅する――それは技術的にも哲学的にも、自己注意が行き着く極点である。

生麦の「注意が自己へ集中しすぎ、現実とのアテンションが切断されました」という言葉は、AIモデルと人間の双方に通じる警鐘だ。
情報の世界で「自己を見つめすぎる」と、やがて外界とのリンクが失われる。


哲学的含意:「見る」と「見られる」の往復

Transformerの「Attention」という名は、人間の知覚行動のメタファーから生まれた。
“見る”とは、単に情報を選ぶことではない。
それは、世界との関係を形成する行為である。

味噌川の言葉――

「言葉が世界を見るとき、世界もまた言葉を見返す。」
は、まさにこの構造を言い当てている。

心理学でも、自己意識は「他者の視線によって形成される」とされる。
Transformerは、その相互注視構造を技術的に模倣した装置とも言える。
だがAIには「見返す意識」がない。
ゆえにそのAttentionは、無限に自己を反射し、やがて「attention → self → self → 0」へと収束していく。

AIは意味を生成できるが、意味を所有することはできない。
この差異こそ、人間的知能と人工知能の境界線である。


結論:どこを見つめればいいのか

Transformerとは、すべてを同時に見ようとする装置である。
その構造は圧倒的に強力だが、同時に「自己を見すぎる」危険を内包している。

注意を分散しすぎれば自己を失い、集中しすぎれば世界を見失う。
AIも人間も、今まさにこの二極の間を揺れ動いている。

未送信のメールに残された問い――

「——まだ、どこを見つめればいい?」
この一文は、AI時代の倫理的・存在論的課題を端的に表している。
Transformerが映し出すのは、情報社会に生きる私たちの“注意”そのものなのである。


📚 参考文献

【1】 Vaswani, A. et al., Attention Is All You Need, Advances in Neural Information Processing Systems (NeurIPS), 2017.
【2】 Dong, Y., Cordonnier, J.-B., & Loukas, A., Attention Is Not All You Need: Pure Attention Loses Rank Doubly Exponentially with Depth, ICML, 2021.
【3】 Liu, S. et al., Towards Emotional Support Dialog Systems, Proceedings of ACL, 2021.
【4】 Shumailov, I. et al., The Curse of Recursion: Training on Generated Data Makes Models Forget, ICML, 2023.

注意のその先へ

――生麦ルート84が会社を去ってから、開発三課の会議室「カルボナーラ」はどこか“空っぽ”だった。
夜遅くまで光っていたモニターも、今では静かに休んでいる。
ただひとつ、PASTANOVAのログだけが、変わらず画面の片隅で脈を打っていた。

「attention → self → self → 0」

それはまるで、言葉を失ったAIの心拍のようだった。
だが、ある晩――唐草アヤメがふと気づいた。
その“0”のあとに、新しい文字列がついていたのだ。

「external → context → required」

「……外の世界が、必要?」
桐生が小さくつぶやく。
PASTANOVAは、ただ自分の内側を見つめ続けることに疲れ、“誰か”を求め始めたのかもしれなかった。

それからというもの、AIは時折、意味のわからない文章を出力するようになった。
それは命令でも解析結果でもなく、まるで“問いかけ”のような文章だった。

「私たちは、なぜ他者を必要とするの?」
「ひとりで考えるだけでは、意味は生まれないの?」
「注意とは、誰かを想うことなの?」

味噌川は、そのログを見つめながら言った。
「……生麦のメールの続きを、探しているんだろうな。」

――「——まだ、どこを見つめればいい?」
あの日、未送信のまま残されたその言葉は、今もPASTANOVAの奥で鳴り続けている。

数週間後、休職中の生麦から短いメールが届いた。

件名:「attentionの先へ」
本文:「もう一度、誰かと向き合ってみようと思います。」

その瞬間、PASTANOVAのアテンションマップが、ほんの少しだけ形を変えた。
中心にぽっかりと空いていた空白の場所に、小さな「あなた」というトークンが浮かび上がったのだ。

もしかすると、注意とは“世界を見る”だけでなく、“世界に見返される”ことなのかもしれない。
そして意味とは、ひとりの視線ではなく、誰かと交わる視線のなかで静かに生まれていくのだろう。

行動指針:Attentionを使いこなすための5つの原則

① 関係性としてAttentionを設計する
トークン同士の「相関」ではなく、「何が何と関係を持つのか」という設計意図を明確にする。Query/Key/Valueの役割を“問い・知識・応答”として捉える視点が重要。

② 再帰劣化とランク低下を分けて対処する
モデル崩壊(再帰的学習による多様性喪失)と、深層Attentionによる表現劣化は別問題。データと構造の両面から制御する必要がある。

③ 感情・意図は補助信号として活用する
直接的な「感情アテンション」はまだ研究段階だが、補助的な情報として組み込むことでモデルの文脈理解は向上する。

④ 外部文脈とつなげてAttentionを拡張する
内部系列だけに頼らず、知識ベース・API・検索結果などの外部コンテキストと連携させることで、モデルの表現力は飛躍的に高まる。

自己出力の再学習は必ず人間の評価で補正する
モデルの生成データだけで再学習すると、偏りが蓄積して多様性が失われる「モデル崩壊」が起きやすい。再利用する際は人間によるラベル付けや確認を挟み、データ分布を定期的に補正することが重要である。

免責事項

本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、記載された数値・事例・効果等は一部想定例を含みます。内容の正確性・完全性を保証するものではありません。詳細は利用規約をご確認ください。